ニコマコス倫理学を読むぞって話

 哲学研究会では2Q(と夏休み)で今進めている『ニコマコス倫理学』を終了して別の本に移るらしい。読み終わる前に別の本にうつるということだ。というか今1巻の8章なので、このペースでいくと読み終えるのにあと5年ぐらいかかる。ぼくとしても、『ニコマコス倫理学』はそんなにおもしろいというわけではないし、毎週精読するのも大変なのでこれには賛成だが、一度読み始めた本を(数学書でもないのに)途中で放棄するというのは気持ち悪いし、何より、アリストテレスの考えのほんの一部分に触れるだけで終わるというのは勿体ない気がするので、全部読んでしまおうと思う。そうは言っても、10分ぐらい読んでいると眠くなるので、普通に読んで最後まで読めきれるとは思えない。というわけで、このblogを読書記録に使おうかと思う。(は?)

 

 以下のようにする。

・読むのは光文社古典新訳文庫の『ニコマコス倫理学

・1日1章

・内容の要約と解釈、感想を書く

 

 難しい本の解説は、ネットに転がっているようで転がっていない。専門家になると発言に責任が伴うことから、適当なことをうかつに書けないことによるのだろうか。ぼくは哲学を学んでいない1理系大学の大学生だから、この文章に責任は伴わないだろうし、適当に書いていく。専門家は勿論、哲学を学んでいる文系大学生から見ても内容が怪しいところがあると思う。これはあくまでもぼくの読書記録なので、『ニコマコス倫理学』と検索してヒットしてしまっても参考にしないでほしい。

 

 参考にしないでほしいと書いておいて変な話だが、この読書記録は他者に見られる/見てもらうことを前提として書く。日本語が読める人(具体的にはセンター現代文で40/100以上取れる人)がぼくの文章を読むことで、アリストテレスの言わんとしていることを理解できることを目安にblogを書いて、更新していく。

  

 ニコマコス倫理学について少し触れておくと、wikipediaからそのまま引用すれば、「アリストテレスは、様々な研究領域で業績を残しており、倫理学に関しても多くの草案や講義ノートなどを残した。後にニコマコスがそれらを編纂したものが『ニコマコス倫理学』である。総じて10巻から成り立ち、倫理学の基本的な問題である「正しい生き方」を検討している。倫理学の研究史において、古典的価値が認められ、注釈や研究も加えられている。」つまり、アリストテレス講義ノートだ。アリストテレスが、当時のギリシャ市民に、「お前らはこういう感じで生きたら良いんじゃないの」という思いのもとに行った講義のノートなのだ。古代ギリシャの市民にあてられたものを21世紀を生きる我々が読むというのは可笑しな気もする。

 

 そういうわけで明日は1巻「幸福とは何か」の1章「行為の目的の系列から善さについて考える」について書く。更新されなかったら殴ってくれ。

 

 

 自己顕示欲のかたまりなので折角書いた文章を放置できなかった。あまりに不快なところを(5000字ほど)省略して公開する。

 

 最近話題の「コカ・コーラクリア」を飲んだが、少し前に話題になった「モンスターキューバリブレ」(赤のモンスターエナジー)と同じ味がした。
 blogの書き出しというのは、youtuberの最初の挨拶みたいなものだと思う。「はいどうもーvirtual youtuber キズナアイです」とか「ピースの角度は30°、(以下忘れた)」みたいな。固定してしまった方が楽だと、はい。

 最近(最近という言葉は期間が人によって大きく異なるので具体的に言えば1Q中、つまり大学に入学してから今日まで(今日はもう2Qの半ばなので正確には1Qと2Qの少しの間))、頭の中でぼやぼや考えていることを文にしたい。文にすることで思考を整理したい。
 もっと前に書けば良かったと後悔しているが、文にすることに価値を感じなかったことと時間を十分に取れなかったこと、本当に書いて良いのか迷っていたことからなかなか書けなかったが、今日書く。今日は書く。
 上に書いたようにこのblogはぼくの思考整理が目的であり、従って、ぼくの価値観、考えを共有することにはないということをここに断っておく。
 それにともなって~(~(~(~)))のような()を多用する、ぼくが好む、読みにくい文章が多くなることと、考えてることを雑に文にしていくので1文1文が稚拙なものになること、また全体の構成がめちゃくちゃになることを先に謝罪しておく。( )で付随された文は話の本筋とは関係ないことが殆どだと思うので(ただし蛇足ではない)読み飛ばしてくれて構わない。あと結構分量が多くなると思う(何字になるかわからないけど)。
 他人のblogを見てると、「この記事はn分で読めます」と最初にかいてあったり、目次のようなものがついててクリックすることでblogの途中から読むことができたりしてとても便利だと感じるが、やり方がわからないのでそういうのもない(ググれば(やり方が)分かるのかもしれないけどそれをする気力はない(許して))。

 前置き(前書き?)が長くなったが、いつもよりきちんとした態度(blogを書く上での「きちんとした」の意味はよくわからないが)でこのblogを書こうとしていることを察して貰えれば幸いだ。

 まずこの成績を見てほしい。

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浪人していた去年の秋の駿台全国模試の成績だ。自分でいうのもおこがましいが、かなり良い成績だと思う。
 少し自己紹介をする。都立西高校卒業後、駿台3号館で1年浪人して、この春、現在東京工業大学7類に入学した1年生だ。
 この模試の結果をあげたのは自慢したいからではなくて(実際この模試はかなり上振れてて(「上振れ」という単語はshadowverseをやってて知ったが誰もが知ってる言葉なんだろうか(知らない人はググって))他の模試はこんなに良くない)、ぼくの大学入学以前の科目毎の点数の取り方を知ってもらうことが目的である。これも正確ではなくて、点の取り方よりも、所謂、得意科目、好きな科目を知ってほしい。
 (模試の結果を)見ての通り、ぼくは数学と物理が好きだった(補足しておくとchemistry(これは英語使えますアピールではなくて科学(science)と化学(chemistry)の区別が(日本語の)音だとつかないことからぼくはしばしば化学のことをchemistryという)の点が低いのは、あまり好き、得意ではなかったことは勿論、時間配分を誤ったことによる(理科は2教科あわせて1つの試験時間中にやる))。
 (高校時代の(物理部の部長だった)ぼくを知ってる人は疑問に思っているだろうが)数学と物理が好きだったぼくが、模試でこれだけ点を取っておきながら7類(生命理工学系(つまり生物について学ぶ))に所属していることについては、本筋からそれるので(もしかしたらこれが本質、criticalな話なのかもしれないが)今は触れない。そのうち書くかもしれない。

 本題に入る。
 このblogで書きたいことはおそらく、「ぼくは数学や物理に向いてなかった。あぁ悲しい。」ということにある。つまるところ、ぼくの嘆きだ。嘆きを可視化することでスッキリしたい。
 ぼくは模試の結果を見てもらえばわかるように、高校数学、高校物理が得意だ(と少なくともぼくは思ってる)。高校XXとしたのは以降に触れる大学での数学や物理と対比させるためで、義務教育で(高校は義務教育ではないが)学ぶ(つまり教科書レベルの)数学や物理のことを指すとする。高校数学や高校物理ができるばっかりに、将来は数学や物理で食べていきたいと思っていた。まあ今でもどこでもドアやタイムマシンをつくりたいと思っているけど(タイムマシンといえばシュタゲを思い出す。今週のシュタゲも良かった。毎週感想をblogに書きたいくらい良い。すこすこのすこ。今週ではないがおそらく10話のラジ館での比屋定さんの台詞「私は物理学者ではないから相対性理論のことを詳細に理解しているわけではないけれど時間と空間が同列ならなぜ空間と同じように時間も自分の意思で移動できないのかしらね。今、空間的にはクリスの死と同じ軸上にいるのよ。なのに時間軸がほんの少しずれているせいで手出しすることすらかなわない」めっちゃいい。男だけどおまんこが濡れた。現実でこんなこという女性がいたら惚れる。間違いなく惚れる)。

 ここまで数学や物理が好き"だった"と書いているように今は数学も物理も面白くない(高校時代から(今も含めて)1番好きな授業は、主に家で1人ではできないという理由から、化学実験だが、授業の好き嫌いの話ではなくて、学問として、興味が湧かない)。これを読んで、「そうだとしてもわざわざ書くことないのに」と思った人はここで文を読むのをやめてくれれば良い。一応補足しておくと、大学で数学や物理を専門に学んでる人を批判する意図は全くなくて、 あくまでもぼくが、面白くないという話だ。
 「7類なら生物を専攻していくわけだし数学や物理に向いてなくても何も嘆くことないじゃないか。」と思ってる人がいたらそれは最もだと思うし、ぼく自身なんでこんな悲しいのか分からない。恐らく過去の「出来た自分」を引きずっていて、ある種のidentityが喪失することが怖いのだろう。

 中略

 

 生命理工系の皆さん、よろしくお願いします。

人間は電気羊の夢を見るか

見ません。人間は寝ないので。

 

上の答えは、「寝なければ夢を見ない」ということに基づいてるが、人が夢を見るのは寝ている間だけなのか。この答えを探るべぐ、我々はすずかけ台の研究所に向かった。

 

多くの人は1日の25%以上の時間を睡眠に費やしているが、この睡眠という行為はまだまだわからないことばかり! 睡眠に限らず人体、生物の行為、構造は身近であるにもかかわらずわからないことに満ちている。大学生(学部か修士か、はたまた博士かはおいとくとして)の間に人類が踏み入れたことのない生物の世界を歩いてみたいと思ったり。

 

2Qが始まってから2週間が経とうとしているが、絶望的に朝起きることができない。1限に必修が詰め込まれているのは勿論ぼくの「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることを著しく阻害しているので法律違反。教務課は法の名のもとに断罪されるべきである。という冗談はさておいて、本当にまずいと思っている。

 

思い返してみると、去年のこの時期はすでに1限に出ていなかった気がする。駿台の授業に飽き始めていたので仕方がないことだ。そして今、大学の1限に出られない。大学にも飽きた。毎朝100分ほどかけて必死に登校して(べつに必死ではないが)、つまらない話を聞くのは不毛すぎる。あと、7:30発の電車はとても混んでいるが、8:00発の電車は空いている。空いている電車に乗りたいので、どうしても学校に行くのが遅くなる。本当に「どこでもドア」が求められている。教授たちは生徒相手につまらない話をしてないでさっさとどこでもドアを開発してくれ。

 

ぼくは並ぶ、列をつくって待つというのが大嫌いだ。アメリカでは、お金を払って列に並んでもらい本人は時間になったらその人と代わって中に入る(例えば遊園地のアトラクションであったり、レストランであったり、病院であったり)職があるが、将来はこのシステムをフル活用したい。このような職が存在することを「資本主義の暴走」などという人もいるが(嘘で、資本主義の暴走という言葉は今適当に考えた。でもそんな感じで言われているはず)、資本主義社会の理に適っているのでこれからも自粛せずに発展していってほしい。

 

僕は並ぶのが嫌いなので、昼休みに食堂前に並ぶことも当然しない。基本的に授業後チーズケーキ(チーズケーキは通称で、図書館のこと)に向かうのだが、その途中で食堂前の長蛇の列を見ては、「なんておろかな奴らなんだ」と思っている。そうは言ってもどうしても何か口に入れておきたい時というのはあるもので、そういう時は昼休み終了10分前とか(この時間になると列は全くない)に食堂に駆け込んで適当に昼を済ます(ただし、食事をおえて談笑している人はかなりの数いる)。書いてて思ったが、ぼっちって感じだ。東工大の食堂は親切で、ボッチ席というのがあって一人で飯を食べていても悲しくならない。社会不適合者の溜まり場になっている。ウケるw。

 

4月の新歓時には、食堂はGW明けから空くようになると聞いていたが、これは偽だった。嘘ついた先輩の海馬に電極ぶっさしたい。

 

そういえば、東工大の図書館は自動で((つまり町の図書館と違って)人を介することなく)本を借りることができる。当然返すのもブックポストに入れておけばいいので人と関わることがない。自動貸し出し機にカードを差し込んでバーコードを読み取らせるだけでいい。この時に使うPINコードという6桁の数列があるが、ぼくも例にもれず「114514」にしている。6桁というのが悪いね。図書館で本を借りる人はそう多くないのに(一定数いるが、司書がずっとカウンターにいなければいけないというほどではない)この(人と関わらずに本を借りられる)システムが採用されているのは、東工大らしくて好きだ。

 

パスワードは情報を守るうえでとても大切なものだが、案外皆適当に決めていると思う。理系で4桁だったら、3141(円周率の最初)とか1792(タクシー数)とか2718(ネイピア数の最初)、あとは自身の誕生日。これで全体の9割は超えると思っている。6桁ならほぼ間違いなく114514だ。Twitterとか、東工大ポータルログインのパスワードは流石に適当に入力してもあたらないものになっているが、パスワードがパスワードとして機能しているのなんてそれくらいなものだ。

 

別のことをかきたくてこの文章を書き始めたが、一定の文字数になったことと、もう眠いことから、本題に入っていないがここで文章を終える。明日は1限に間に合いたい。

 

”Hello,world!"

 

 

文体って

 これは本質なんですが、MITと1字違いの大学の学生は英語ができません。CとかPythonは達者な人が多いので、「らしい」と言ってしまえばそこまでですが。

 

 今日は大学でTOEFL itpというのを受けたんですけど、完全にロト6だったので切ればよかったと後悔しています。そもそもぼくは人の話が聞けないので、listeningは解けるわけがない。ただ全体的にセンター試験をちょっと難しくしただけという印象を受けました(受験業界では東大英語をこのようにいう人がいます)。ロト6と書いたことからわかるように全く分からなかったんですけどね。

 

 2年後の自分に忠告しておくと、試験時間が長いくせに水を飲むことすら許されてません。十分に栄養を取ってから試験に臨むようにしましょう。

 

 ここから本題の文体について書くつもりだったんですが、あまりにlisteningができなくてイライラしたので愚痴を書かせてください。

 

 会話をする際に、音(声)が情報のすべてではないことはご存知でしょう。無意識のうちに表情や口元、体の動きなどを観察して、初めて会話というものは成立するのです。するのですと断言してますが、ぼくは人と話すとき、恥ずかしいので基本的に目を合わせません。それでも会話は成立していますが、これがコミュ障の一因なのかなぁと思ったり。

 

 やや逸れましたがlisteningって音の情報しかないじゃないですか!!!!!!それで男が暗に思ってることとか分かるわけないやろ。ふぁっきゅー 輝夜月だよー(ふぁっきゅーはキズナアイだったかも。Vtuber全く興味ないので間違ってても許して)

 

 で、本題に入るんですが文体についてです。文体というのは、歌手の歌い方みたいなものです。人それぞれ個性があります。福山雅治の歌い方とか特徴的らしいですね、あまりきかないのでわかりませんが。村上春樹の文といえばピンとくる人がいるのではないでしょうか。「でもそれに比べると僕の部屋は死体安置所のように清潔だった。」みたいな。(これは村上春樹の『ノルウェイの森』から引用)彼の特徴はこのよくわからない比喩以外のところにもありますが、彼の文を読んだら「あぁこれ村上春樹かな」と思える文体を彼は持っているわけです。ちなみにぼくは村上春樹の作品はかなり読んでますが、嫌いです。本全体として完成されてないというかしりすぼみ感がすごいので。逆に最近読んだ『百年の孤独』(G・ガルシア=マルケス)は最後までチョコたっぷりでした。やっぱトッポってすげえよ。『百年の孤独』は名著なのでこのブログをよんでる暇があったら図書館で借りて読むべき。近親相姦がテーマのエッチな話です。ただどことなく雰囲気が『ドン・キホーテ』(セルバンデス)に似ているので、こっちを読んだことある人は読まなくてもいいかも。

 

 ぼくってリアルで会話するときは、直前の段落みたいな感じで頭に浮かんだことをそのまま口に出していくんですよ、早口で。会話に一貫性がないので、ぼくとの会話が弾むのは、同じく会話に一貫性がないやつに限られます。

 

 文体の話に戻りますが、twitterには(実際はtwitterに限らないが)構文と呼ばれるテンプレートがあるじゃないですか。ちょっと前だとキリト構文、つい最近は日大の構文が流行ってました。「FF外から失礼するぞ~(謝罪)」を知らない人はいません。このようなtwitter全体で認知される構文かある一方で、ごくごく一部(具体的には○○界隈、高校、大学など)でのみ認知される構文も多く存在します。「はいプロ(以下略)」を知らないjoi界隈、東工大生を見つけるのは難しいです。ここまで書いて思ったけどこれ文体と関係なかったのでここまで。

 

 高校同期のブログをみていて、自分の文体はどこからきているのか、疑問に思ったわけです。(ぼくの文体というのは、たとえばfacebookを見てくれるのが早い。)うれしいことに(?)ぼくの文に強く影響を受けてる高校同期もいますが、基本的に高校同期と文体が似ることはありません。で考えていたんですが、高1のとき(最もtwitterをやっていた時)に尊敬していた方々の文に拠るところが大きいんじゃないかなぁと。具体的な名前を挙げても誰にもメリットがないと思われるのであげませんが、彼ら自身も(一部を除いて)また誰かの文をまねて文章を書いているわけで、文章というのも、音楽に似ているなぁと思いました。(は?)(ここには行間があります、埋めなくていいです)(さんざんダラダラ書いといてこれで終わりかよとおこんないでよぉ、魂って鮮度が大事⤴(RAGEファイナルでルナちゃんだけいなかったの、ほんと「ルナの負けだよ」って感じだ)(室井あきのりの名前を使っただけで法典して解除してくれないopenrecを許すな)

 

 眠くなってきたのでまたどこかで。

 

 ちなみにぼくは月曜の午前は大学で授業がありません、やったね(ガハハ)

 

 

 

 

大地を震わす和太鼓の律動に、 甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。

今日はエイプリルフールなので嘘をつきますが、この文章は偽です。

 

先日、高校同期のあだ名が某ショッピングモールのブログを読んでて思ったんですよ。私は文章も思考も稚拙だなと。皆色々なこと考えてるんだなと。私だけ思い悩んでいるなんていうのは思い上がりもいいところでした。

 

先週の水曜日にSF研で「文章の書き方」というものを簡単に説明してもらいまして。段落の置き方とか数字の書き方とかダッシュの使い方とかです。そのときに自身の小説の読書量の少なさを痛感しました。高校時代はライトノベルや漫画ばかり手を出していたので、小説なんてものは10冊も読んでいない。森鴎外とか太宰治とか夏目漱石とかの作品は全く読んでない。現代文の授業で『こころ』や『舞姫』を扱っていましたがその時間は数学をやっていたか寝ていたか、どんな文が書かれていたか全く記憶にない。当時はそれでよかったのですが、今はそれでは不味い、というのも、綺麗な文が書けないから。

 

モーツァルトですらバッハを模倣し、雲kですら青チャを写経したという内輪ネタがあります。モーツァルトといえばsteins gateが頭がよぎりますが、アニメは今後どう展開していくんでしょうか。目が話せません。クリス可愛い。閑話休題、uniqueであることを求められる昨今ですが、模倣は重要なことだと思います。断っておきますが、uniqueであることと模倣は二律背反ではありません。模倣のすえにuniqueなものが誕生するのです。自身の頭の中のイメージをより正確に共有するためにも、優れた文に多く触れることで表現を磨かなければなぁと思いました。

 

そういえば、立志プロジェクトで書評、最終レポートとそれなりの文を書いてグループで共有したわけですが、読んでもらっての感想として共通してるが「文書くのが上手い」というものでして。内容についてボロクソいうのは可愛そうだからとりあえず誉めときゃ良いだろ的な思考に基づく感想だと思いますが、誉められるのはお世辞だろうと嬉しい。もっと誉めて。

 

私としては、文章が上達する最も簡単な方法は、「他人の書いた文章にダメ出ししていくこと」だと思っています。自分で書いた文にやるのが一番ですが、自分で書いた文は可愛いので容赦なくダメ出しすることができません。他方他人が書いた文章はアカいれ放題です。英作文も同じですね、はい。積極的にダメ出ししていけましょう。(私のブログにダメ出しされるとメンタルがヘラっちゃうのでやめてください)

 

哲学研究会の話とか、カルト勧誘の話とか、バイトの話とか、書きたいことは多々ありますがそれはまたそのうち。

 

おやすみ世界

徒然なるままに

おはよう~(なぜおはようかというと朝なので)

「おはよう」と「こんにちは」と「こんばんは」の使い分けって難しいですよね。7時なら「おはよう」、15時なら「こんにちは」、20時なら「こんばんは」かなぁという気がしますが、11時などは、どちらでも良い。まあ私はこんな挨拶をする相手もいないんですけど。(たまに英語の「good morning」「hello」「good afternoon」等も含めて使い分けをググるんですが、挨拶をする相手がいないので、1週間もしないで忘れます。)

挨拶がらみでもうひとつ、「こんにちは」は「こんにちは」です。「こんにちわ」ではありません。某mmorpgのチャットをみてると「こんにちわ」と書く人の方が多いまであるので、「お前らチャットで盛り上がりたいならまず正しい日本語を身に付けんかい!」と思います。実際、このような発言をしたところ、「どっちでもよくねwwww」と返されました。なにわろとんねん(実際どちらでもいい)。

 

さて、今日からわたしの在学しているMITと1文字違いの大学では2Qが始まります(この文章は読点をどこに置くかによって、わたしがMITに在学しているのか、MITと1字違いの大学に在学してるのかの2通りの解釈が可能)。1Q開始時は、環境が大きく変わり、新歓でふらふらしたりと、バタバタしていましたが、2Qはそんなこともなく、おちついて始められそうです。(ところで2Q最初の授業は寝ブッチしました。)

 

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり。 」という有名なフレーズがありますが(松尾芭蕉奥の細道』)、日々だらだらと過ごしていても、精力的に過ごしていても、時間というものは過ぎていくわけです。自身の能力の低さに悲しみを覚えているわたしとしては、少しでも成長したいと思い目標をたてることにしました。目標を2Q中に全て達成できなかったら、このブログにコメントしてくれた人に、コーラ奢ろうと思います。まあコメントする人なんていないんですけど。

 

2Q目標

・立志(将来の方向性を決める)

・減量(マイナス5kg)

・キャンベル生物学1周

・読書(10冊(内容、量は問わず))

 

「立志プロジェクト」とかいう授業は、少なくともわたしを啓蒙したという点において、存在価値があったと思います。

 

では、今日も一日頑張るぞい(ぞい(ぞい(ぞい

 

ワンブリッジ大学

やったー!テスト終わったー!夏休みだー!

 

夏休みがくるのは、2カ月後なんですけどね、初見さん

 

4Q制で期末テストが4回あるのに加えて、中間テストがある科目もあったりするので、ちょくちょくテストがあるんだなぁと。大学のテストは、高校までと違って(履修科目を自由に選べることからか)ある科目ではテストの日に別の科目では普通に授業みたいなことがあるので面白い。あと授業がなくなったりするので、高校より負担は減ったかな。

 

高校では赤点が30点だったので平均点も低く(数学は40点とかだったし)、皆できないから、全く勉強してなくても平均点とそこまで差がつかなくてハッピーという感じだったけど、大学はおそらく平均が70ぐらいになるようにつくられていて、「全く勉強してないゎら」などといってると大きく差がつくんですよ、、、かなしい、、、魂って鮮度が大事

 

 

やめて!


今ここで最先端生命研究概論のレポートを3つも書いたら、有機化学の勉強を折角したのに落単した私の精神まで燃え尽きちゃう!


お願い、死なないでシンデレラ!


あんたが今ここで倒れたら、wtbk物理や立志プロジェクトのレポート提出はどうなっちゃうの?

ライフはまだ残ってる! ここを耐えれば、第2Qが始まるんだから!


次回「反実仮想のシンデレラ 死す」

デュエルスタンバイ!

 

 

 

この子の名前決めないと(最初のブログで名前をピカソにしてしまったので)