ニコマコス倫理学 1巻 5章

注意

https://4eta.hatenablog.com/entry/2018/07/05/224715

 

5章「代表的な3種類の生き方の検討」

 

 4章で「最高善」って「幸福」だけど、この幸福の意味は一意に定まらないよね~という話をしてて、5章は代表的な3種類の生き方を検討することで各々の幸福を考える。

 

 代表的な3種類の生き方とは「享楽的な生活」「政治的な生活」「観想的な生活」である。

 一般大衆(最も粗野な人々)は、善や幸福を快楽のことだと理解している。彼らは享楽的な生活を好む。アリストテレスは(自身は一般大衆に含まれないことを確信しているのか)この生活を、家畜が送るような生活でまさに奴隷のようだ、と評している。なお、この生活を好むことは彼らの生活を考えれば理由があるとも言っている。

 立派で行動力のある人々は、善や幸福を名誉だと理解している。彼らは政治学的な生活を送っていて、この生活の目的は、名誉だからである。しかし名誉は与えられる側より与える側に依るもので、善というのは、それをもつ人に固有のものであり、その人から奪い取りがたいものであろうから、名誉というものも真に生きる目的にはならないとはしている。また、名誉を追求するのは、自分が善い人間であると確信したいためで、つまり、彼らは思慮深い人々から、自分のアレテー(徳)(アレテーについては次の段落で)を理由に名誉が与えられることを欲している。これだと、政治学的な生活の目的が徳ということになりそうだが、徳というのは持っていても何もせずに人生を過ごすこともあり、また苦境や不運に見舞われることもありうるから、徳というものも目的として適切ではない。

 この2つの生活については、本書ではなくて、別の本(例えば『哲学のすすめ』)に詳しく書かれているらしいので、気になる人はそれを読むと良い。

 アレテーの話をする。アレテー(ἀρετή)とは、「人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである」。これはweblio辞書からコピペしたが、かなり分かりやすいと思う。要するに能力のことで本書はこれを徳と訳している(たまに卓越性と訳される)。徳ときくと人徳みたいなものを連想しがちだが、あくまでも能力である。

 最後に、観想的な生活についてだが、これは第10巻でしっかり考察するのでここでは触れない(は?)。アリストテレスはこれを幸福な生活の最有力候補としている。

 三つの生活とは外れてるが、金儲けの生活というのは、生活の必要によって強いられた生活であり、富というのは他の物の為のものであるから、これも目的からは除外される。

 快楽、名誉、徳といったものは、それ自体が好まれるものてあるが、それが真に探求されるべきものでないのは上で述べた。これらを支持する多くの言説はこれで論破した。

 

 というわけで、5章はここまで。結局アリストテレスの考える幸福というのは10巻まで語られない。かなしい。(どうしても気になるならば10巻を読むと良い。)

 ぼくはとりあえず今疲れているので、ポチャポチャお風呂とあったかい布団で眠ることが何よりも幸福に思える。今気づいたら1時なんだけど、お風呂入って諸々のことやって、2時前だったら無限に寝るし、2時以降だったら3時からのW杯見るか~という気持ちになってる。

 おやすみ世界。